
新年を迎えて今年も新しい日記にペンを入れました。OIRON通信で、何度か「日記を書くことのすすめ」を訴えた結果、読者の何人かからメールで「日記を書くようになりました」とか、「1年間書くことができました。大晦日に1年分を読み返し、短い1年が長く感じられました」との連絡をいただきました。返信で私は「いつか必ず君の財産になりますし、自叙伝を書く資料にもなります。」と送りました。
子供の頃元旦は、家長の父親が料理を作り、「歯がため」の儀式で始まりました。この儀式は我家だけに代々続いている儀式で、硬い干柿を元旦の最初に口にします。父親に聞いた話ですが、干柿は栄養分が豊富な上、軽くてすぐエネルギーになる食べ物で、昔、戦に出かける時は我一族の必需品であったようです。硬いものを食べるのは、健康を維持するためには歯が丈夫でなければいけないという教訓だそうです。現在も「歯がため」は我家の元旦の儀式になっています。
正月には父に連れられて近くの神社に初詣をしたものです。ここ数年は初詣とともに正月になると必ず思い出す話があります。その1つは天国と地獄です。この話は以前にもOIRONに書いたかもしれませんが、恩師Dr Coxがよく話していました。天国には笑いが溢れ血色の良い人たちが住んでいますが、人々の座っているテーブルには食べ物はあまりありません。しかし人々は健康的で活動的です。地獄のテーブルの食べ物は天国とは比べものにならないほど豊富ですが、人々は青白く沈んだ空気が漂っています。なぜ食べ物が少ない天国は陽気で、食べ物が豊富な地獄は陰気なのでしょうか?両方の住民の手には、左手に3mのまっすぐなフォークが付いていて、右手には同じように3mのナイフが付いているのです。天国の人達は、テーブルを挟み対面の人に食べ物をナイフで切ってフォークで食べさせています。そして自分は他人から同じように食べさせてもらっているから、テーブルの上に食べ物が少なくても陽気なのです。地獄の住民は食べ物を自分で食べようとしますが、腕に3mのフォークやナイフが付いていては、口に届けることができません。豊富な食べ物も口にできず飾りものでしかありません。この話は、まず自分から差し出す物を提供しなさい。そうでなければ自分も得るものはありません、という教訓です。会社も個人も利益は相手に与えることによる副産物です。相手を満足させた代償として手に入れるものです。Dr Coxはクリスチャンでしたから、この話はセミナーで必ず話していました。
もう一つの話は福の神と貧乏神の話です。ある地方の庄屋の家で結婚式がありました。祝宴も終わり、家人も寝る時間となった時、表の戸を叩く音がしました。庄屋は、宴席に出席したお客様の忘れ物かと思い、「どちら様ですか?」と尋ねると、戸の外で「私は福の神です。」と答える声がしました。庄屋は、喜んで戸を開けて、どうぞお入りくださいと福の神を家の中に案内しました。福の神が入って戸を閉めると、また戸を叩く音がします。庄屋が「どちら様ですか?」と同じように尋ねると、か細い声で「貧乏神です」と答えました。庄屋はめでたい日にとんでもないと思い、貧乏神に帰ってくれと話しますが、貧乏神は何としても家に入ろうとします。庄屋と貧乏神が押し問答をしていると、先ほど家に入った福の神が庄屋の傍に来て、貧乏神を入れてやってくれと庄屋を説得しますが、庄屋は首を縦に振りません。すると福の神は戸を開けて出て行こうとします。庄屋は慌てて福の神を家に止めようとしますが、福の神は出て行くと言います。庄屋が何故と聞くと、福の神は「私と貧乏神は常に一緒なのです。私の後には必ず貧乏神が来るものです」と答えました。福の神の真意を知った庄屋は二人の神を受け入れました。教訓として、良い時もあれば悪い時もある、という話です。
私はこの2つの話を思い浮かべながら今年の計に入ります。皆さんも、今年の目標を立て、自分から提供するものは何か考えてください。そして物事がうまくいかなくても、福の神と貧乏神の話を思い出し、挫けずに目標に向かって進んでください。
