平成22年 12月号 KEY WORD 〜 勤勉 〜
学び舎の最古はOIRON7月号に書いた遣唐使に儒学を教えたものだと思いますが、江戸中期には寺子屋が約2万あったようです。当時の人口は約3000万人でした。現在、日本の小学校の数は寺子屋と同じ約2万校ですが、人口は約4倍になっています。ヨーロッパの国々では、日本の寺子屋の事が広まり、日本人は勤勉な人種と思われていました。当時ヨーロッパにも寺子屋らしきものはありましたが、日本ほど多くなく、彼等には本人は勤勉な民族と映ったようです。寺子屋は「読み・書き・そろばん」を教えていましたが、月謝は現在のように金銭だけとは限らなかったようです。寺子屋に行き、読み書きそろばんを学習しないと働き口がなかったようでした。子供達は朝8時半頃寺子屋に行き、2時間ほどの授業を受け、家に帰ってそれぞれの商店で働いたとの文献が残っています。
日本は細長い国(寒帯から亜熱帯までの地形)であったことから、植物が豊富(約5500種類の植物)で、いたどり・あじさい・やまぶき・よもぎ・どくだみなどが、薬草としてヨーロッパに持ち帰られました。これらの薬草も日本人の知恵が生み出したものです。しかし、江戸時代は鎖国のため、医学や物理学・化学等の知識は入ってこなかったのです。杉田玄白らが翻訳した「解体新書」(1774年)は、オランダでは70前に発刊されたものでした。勤勉な民族が住む日本をヨーロッパの各国は植民地にしたかったのですが、海に囲まれ遠い国であったために日本まで来る手段がありませんでした。1760年からイギリスで始まった産業革命で、蒸気機関が発明され、その蒸気動力を船に乗せて1853年ペリー日本にやって来ました。乗組員の中には植物・動物学者や医者もいたようです。ヨーロッパを中心とした国は、遥かに進んでいましたが、今や世界中に日本の自動車が走っています。ヨーロッパの知恵を受け入れた、勤勉な日本人のDNAのおかげなのでしょう。
私達の塾のはじまりは、福沢諭吉塾長が開校した慶応義塾です。月謝として金銭を支払い、学問を身に付ける方法は決してヨーロッパの学校に遅れていませんし、工学部が世界で初めて設立されたのも現在の東大です。工学部はハーバード大学から全世界に広まりました。
勤勉な民族のDNAを持った日本人ですが、怠け者と言うか進歩したくない人もいます。その例をひとつ紹介しましょう。私の友人の友人で、福島県のある都市の駅前で蕎麦屋を経営している人がいます。年齢は私とあまり変わりません。蕎麦屋は先代のお父さんが開店し彼は二代目です。蕎麦屋と言っても丼物もある食堂です。しかし、その店一番の売り物である蕎麦が、手打ちでなく業者からの仕入れ蕎麦でした。私も何度か手ちにしいか?とメールでやり取りをしていました。彼の住む都市は観光地で、駅前のため観光客も多く入っていました。昼食がメインなので、蕎麦は昼食として手頃なのですが、業者からの仕入れ蕎麦と手打ちでは味に大きな違いがあります。手打ち蕎麦の多くは二八蕎麦と言って8割が蕎粉割がつなぎ粉です。しかし、立ち食い蕎麦の多くは逆の8割がつなぎ粉で、蕎麦粉は2割しか入っていません。彼の店の仕入れ業者の割合は聞いていませんが、手打ち蕎麦の味でなかったことは確かです。そして彼の店は今年の8月に閉店してしまいました。先代の時は手打ち麦で気があったようですが、2代目は私の意見を聞き入れませんでした。地方の観光地では…とか、めんどうなことをしても今さらお客は帰ってこない…とかの言い訳ばかりでした。
私も手打ち蕎麦を打ち(約3年前から)今年の6月に検定試験に合格しました。1年目は毎週日曜日、朝8:00〜10:30まで教場に通い、2年目は隔週になり、学科・実技で一定基準の点数を取らないと合格しませんが、蕎麦の仕事をしていた彼なら、素人の私より早くマスター出来たはずです。創業者は他人が10年かかるところを半分の5年で達成します。これは技術であり借金の返済でも言えることです。創業者の「負たくな根性」は、私もそうであったし、彼のお父さんも同じだと思います。私達日本人には、先祖代々「勤勉」という血が流れています。私が27才で独立した時、両手に近い免許(国家資格)を持っていたので、家庭があっても子供がいても貧乏しても、免許を使えば食っていけると思っていまし。私は勤勉ではなく、好奇心が強いだけですが、皆さんも免許に挑戦してください。君の体には勤勉の血が疼いていますよ。一年の計をたててください。 (典)
平成22年 11月号 KEY WORD 〜 思いやり心配り 〜
ある会社では、「AM8時30分になるまで何物にも触れてはいけません」と上司からの指示が出ます。またこの会社は宅配便部門もあり、配達時間が、午前・午後で2時間間隔に区切られています。指定された時間より3分早く配達現地に着いても、その場で3分待ち、指定時間内に荷物を配達します。配達した時刻はバーコードで記録され、通知されます。他社の宅配便は、お客様に一声かけて、「3分早いですが…」とお客様の意向を伺い、配達を終了して次の仕事につきます。たかが3分でも積み重ねれば多くの時間になります。ここまで読んだ方は何と効率の悪い会社と思うことでしょう。この会社は2年前に「クロネコヤマト」を抜いて日本一パートタイマーの多い会社になりました。この会社は年賀状を国民の行事としています。そうです、民営化された日本郵政株式会社です。
もし、お客様に対する思いやり・心配りがあれば、少しでも早く荷物の仕分けをするでしょうし、時間指定したお客様でも、早く欲しいかもしれませんから、声をかけ、相手の事情を聞くでしょう。礼儀正しい言葉使いを徹底しているらしいのですが、その言葉の中に思いやり・心配りが浸透しているのか疑問です。民営化されて規則が優先され、官の悪いところと民営の悪いところが、混合していると思います。疑問を感じているのは、社員よりもパートタイマーの人達の方だとも聞きました。疑問を感じながらも、年賀状を販売ノルマ以上売り上げているのも、社員よりパートタイマーのようです。私は、郵政民営化には大賛成ですが、体制が変わったにもかかわらず、官民の悪いところだけが変わっていない点を教訓にしたいと思いました。
これは毎日新聞の余録に記されていた記事ですが、夏目漱石は英国に留学した時、友人の正岡子規に宛てて手紙を出しました。子規は病に伏していましたが、病気でなければ共に英国に行きたかったようです。漱石は手紙に「吾輩は日本に居っても交際は嫌いだ。まして西洋に来て無弁舌(たどたどしい)なる英語でもって窮屈な交際をやるのは尤(もっと)も厭(きら)ひだ」と書いています。子規に対する思いやりであり心配りでもある、と書いてありました。病床に伏す正岡子規の無聊を慰める一文だったとも書いてありました。
JRの切符売り場の前を通ると、中南米系と思われる男女が「上野までいくらですか」と聞いてきました。美術館巡りらしいので、運賃を教えて、まさに無弁舌な英語で「上野は美術館が多いですから、楽しんでください。」と付け加えました。すると黒人の女性が「渋谷まではいくらですか」と聞くので、運賃表を見て気がつきました。路線図は漢字の駅名だけでローマ字表記がないのです。駅にはローマ字で読める切符売り場もありますし、券売機には英語の音声案内機能もありますが、それさえ知らない外国人も多いことでしょう。もし駅側に思いやり・心配りがあれば、外国人も窮屈を感じないで楽しい日本旅行になるはずです。駅によっては入口・出口・改札は3〜4ヵ国語で書いてありますが、運賃表までは記載されていません。
思いやり・心配りは、もらった人には大きな力になります。同じ褒めるなら、多くが集まる全体会議の時に、昇進したなら、全体会議の時に新しく役付きになった名刺を神々しく渡したならば、役以上の効果が出るものです。役職が上がれば上がる程、思いやり・心配りが必要です。そしてその思いやり・心配りはやがて大きな結果を出してくれるものです。また役職が上がれば上がる程、叱るのも難しいものです。叱る前に枕詞として「君らしくない。失敗だな〜」とか「○○の良いところがあるのにどうした?」とか、笑い話の後に問題を指摘するとか、必ず褒めてから叱ること。叱ってから褒めても逆効果です。4年前「ハンカチ王子」の斎藤君が、高校の講堂で行った大学進学の記者会見後、自分のイスばかりか同席していた校長や野球部の監督のイスも元通りに直していました。自然に出た心配りは好感度を高めます。
私自身も、あの時、思いやりや心配りがあれば、と思いつつ、今年もあと1カ月。ここまで我社でも、思いやり・心配りがあれば結果がもっと変わっていただろうと思うことがありました。まだ間に合いますよ、皆さん。生徒にもご父母様にも思いやり・心配りを忘れないでください。(典)
平成22年 10月号 KEY WORD 〜 自然と生きる 〜
今年は10月3日でした。「何?」と思われるかもしれません。それは粕壁小学校の校庭の脇にある金木犀が香り始めた日です。私の知る限り、この場所の金木犀が一番早いと思われます。日記を見ると昨年は香り始めが4日でした。その前の年はやはり同じ3日でその前が1日でした。今年の夏は暑く、植物にとって異変がありました。例えば、私の畑では、大根は9月10日までに種を蒔かなければいけませんが、暑くて23日にしました。例年の9月初旬の気温が、2〜3週間ずれていたからです。しかし、金木犀はここ何年も2〜3日しか違わずに香りを出し、約2日で満開になります。春期の花は気温で咲きます。桜前線が我々に顕著に示してくれています。秋期に咲く花は日照時間、つまり日没時刻で決まります。春の花は寒いと遅れ、暖かいと早く咲き、あの小さい茎葉に温度センサーを持っています。しかし、日照時間のセンサーはありません。逆に秋の花は、温度に関係なく日没時刻のセンサーを持っています。両方の花ともコンピューターで計ったように狂いなく咲き、我々を楽しませてくれます。
同じことが赤トンボにも言えます。山頂から降りてきて、我々の住宅街で夕景に見られるのがお彼岸の頃です。これは私の推測ですが、今のように新聞・テレビ・ラジオ等で気温や気候の情報が無い時代は、何の花が咲いたからこの種を蒔こう、植えようと考えたのでしょう。今の私たちはメディアの情報を頼り、自分自身が肌で感じる情報に、あまりに鈍感になっているのではないでしょうか?私の趣味の野菜作りでは、野菜の種と話し、蕾と話し、気候と天候と話をしないと良い野菜はできません。農業こそ、本来人間が持っている知恵や知識が必要な職業だと私は思っています。
私が毎年買いに行く、梨栽培農家があります。今年は、春先の寒さと、7月の一番大事な時に二度の雹の被害で梨の実に傷が付いてしまいました。中でも7月29日の大粒の雹は、梨の実を保護している袋も破り、傷つけてしまったそうです。また、いつまでも暑いために粒が大きくならないうちに色づいてしまい、小粒の梨ができ、売り物にならなくなりました。結果、今年は埼玉産の梨はほとんど市場に出荷されていないそうです。気温・気候・地震と、自然現象を予測することはできても、変えることはどんなに科学が発展しても我々にはできないでしょう。しかし、利用することはできます。
何故、私は最初に金木犀の話をしたのか?それは、この場所の金木犀が花をつけ香れば、来年度の準備をしなさい、計画を立てなさい、健康診断を受けなさいと、自然が私に教えてくれるからです。忙しくて忘れている時に、自然が警鐘を鳴らしてくれています。金木犀の他にも、椿の花・菜の花など、私に告げる自然があります。自然には逆らえないけれど、利用することはできるのです。
自然を味方にした人を紹介しましょう。北海道の十勝平野に中札内村(なかさつないむら)があります。地名としてはあまり知られていませんが、「生キャラメル」で有名な株式会社花畑牧場の本社がある所です。花畑牧場はタレントの田中義剛さんが代表取締役を務めています。十勝平野と言えば我々はすぐに小豆を思い出します。中札内村も今から20年前までは、多くの農家が小豆の栽培で生計を立てていましたが、小豆は天候に大きく左右され、定まった収入を得ることができませんでした。この地に合う植物はないか、と現在の組合長の中村さんが目をつけたのが枝豆でした。枝豆はそれほど天候に左右されることはないのですが、収穫時期の判断が非常に難しく収穫には手間もかかります。収穫時期が1週間遅れれば、枝豆が大豆になってしまいます。収穫に最適な時期は3日〜4日です。また枝豆は鮮度が一番で、収穫から48時間で大きく味が落ちて行きます。中村さんは、大型の枝豆収穫機械を作り、1日に数ヘクタールの枝豆を収穫し、収穫から約3時間で液体窒素を使って冷凍し味を逃さない方法を開発しました。中札内村の自然に合った枝豆は日本中に、いや海外(ロサンゼルス・モスクワ・シンガポール・ドバイ)にも輸出されています。スーパーで冷凍の枝豆の袋裏に中札内村と記されているものは沢山あります。また、枝豆は連作しないで、畑を小麦→てん菜→枝豆→ジャガイモのサイクルにするのが、枝豆に最適なサイクルなのだそうです。まさに、自然を味方にした例です。
人間は情報に過度に敏感になりすぎ、自然の素晴らしいところを忘れているようです。自然を味方にしませんか。私は、教室のまわりの地域も、自然地域だと思っています。自然と生きよう。(典)
平成22年 9月号 KEY WORD 〜 今 夏 〜
今年の暑さは、各地で大きく記録を塗り替えています。沖縄の那覇市の気温より東京の方が高い、という日が何日もありました。毎朝6時前の天気予報で私の1日が始まり、犬と散歩に出かけますが、近所の街路樹の間にあるつつじや紫陽花は枯れています。約1ヶ月半雨が降らず、その上太平洋高気圧の虐めとも思える暑さでは、もちません。気象庁の発表によると、今年の東京の気温は、平均気温より約1.64℃上昇しているとのことす。数字を聞いただけでは、たいしたことはないと思われますが、平均気温が1℃上昇すると、地形で南方に100km進んだ所の気温になるそうです。今年は、横浜市が和歌山県の潮岬に、大阪が鹿児島県の枕崎の平均気温になっているのです。
この暑さで、私の趣味である野菜作りは大きな被害を受けました。雨水が欠かせないサトイモや八つ頭は成長せず、芽も枯れ始めました。キュウリの苗は、何度植えても暑さに負け、秋収穫の玉葱は、球根が焼玉葱となってしまいました。夕立のない夏が、いかに野菜に打撃を与えるかを知りました。何度かホースで畑に水を撒きましたが、自然が撒く雨には到底かないません。
8月の中頃でした。私の畑は道路を挟み家の前にあります。雨が降りそうもないので、私は道路を横断してホースで畑に水を撒いていました。道路を通る車で時々水がトントンと止まることがありますが、その時全く水が出なくなってしまいました。途中でホースが捩れて水が止まっているのかと、私はホースをたどりました。すると、道路の上でホースを踏んでいる老人がいるではありませんか。その老人は私を見るなり、右人差指で自分口元を指し、おじぎをしています。よく見ると口元には細かい泡がふき出しています。彼の動作で水を欲していることが理解できたので、私は急いで彼の元に行き、ホースの先端のシャワー口を外してホースを渡してやりました。彼は浴びるように何度も水を飲み干しました。水をみ終わった彼はホースを私に戻し、何度も何度も頭を下げ、両手で私を拝むような動作をしました。口からは声にならない音が発せられました。彼は聾唖の人だったのです。近くの公園には、水道の蛇口もありますから、彼は近所の人ではなかったのでしょう。耳が不自由なため、宅街の呼び鈴を押すことができず、私のホースを踏むことで、私に知らせたのでしょう。彼の後姿を見送りながら、心が少し温かくなりました。その後も畑で野菜の手入れをしていましたが、例年に比べ蚊がほとんどいません。翌日の新聞には、今年の暑さで平年より蚊も30%減っているとの記事を見て納得しました。
今年の夏、私は本当に色々な体験をしました。その1つに、自衛隊富士学校の「富士総合火力演習」を友人と一緒に見学する機会がありました。輸送機からの空挺降下や、攻撃ヘリコプターから数km離れた的に砲弾が命中する様を初めて見ました。その他、遠距離・中距離火力戦車、装甲車と、日本の軍備を見て、私なりに思うものがありました。皆さんも一度、日本国・愛国心・軍備・自衛隊について、自分の目で確かめてもらいたいものです。今月の初めには、昨年11月4日に他界された森繁久彌さんの「森繁詩の会 森繁会長追悼号」が友人から贈られてきました。森繁さんは、生前詩の会の会長を務めていて、今回の出版物で155号になっていました。「しくしくからから」と題した詩集は、いつも森繁さんの「ほんとうの倖せに」から始まります。しみじみとむせび泣きたいなら/あなたよ/今日の不倖せには/笑って/耐えようではないか/友よ/明日に泣け この「しくしくからから」は、いずれOIRONで話したいと思います。
畑の悪者はカラスです。野菜の一番おいしい時にかじっていきます。トウモロコシは体当たりして茎を折って地上で食べます。憎きカラスです。そこで私はカラスを捕獲することにしました。カラスの死骸を吊るすと二度とその場所には来ないと聞いたからです。私は二羽のカラスをgetしました。その二羽は親カラスのようで、今年生まれた二羽の子カラスを連れていました。仕掛けに捕まった親カラスを、二羽の子カラスは見ています私の手の中のカラスは、暴れることなく観念したかのようです。時々泣くと、口の中は血の通った赤です。殺すべきか迷いました。私は手中の親カラスに「二度と来るな。次回は殺すよ」と諭して逃がしました。翌日から畑にカラスの姿はありませんでした。殺生しなくて良かった。先月号に蜘蛛論法を書きましたが、今回はカラス論法も書けるかもしれません。 (典)
平成22年 8月号 KEY WORD 〜 蜘蛛論法 〜
OIRON7月号で、遣唐使について皆さんにお知らせしましたが、実際に自分の目で金山を見たくて、夏休みに福島県の白河市に行ってきました。学生時代の友人が福島市に住んでいて、彼は歴史オタク(元は化学の教師)でもあります。彼の案内で彼の蘊蓄を聞きながらの旅は、最高に楽しいものでした。色々と調べると日本最古の金山は、白河市でなく宮城県の涌谷町のようで、そこで採取された金を持って遣唐使は中国に渡ったようです。年代的にも合致します。
日本の金脈は東北地方に広がり、その金脈を語るには金売吉次(かねうりきちじ)は外せない、との友人のアドバイスを得て、白河市内にある吉次の墓に行きました。吉次は東北地方で産出された金を京都に売りに行く商売をしており、源義経が奥州藤原氏を頼って奥州平泉に下るのを手助けした人物であると言われています。吉次の墓は弟と妹の墓にはさまれて、杉並木に囲まれた場所にありました。墓の横の説明文には、京都に行商に行く途中、白河で強盗に襲われ、殺害されたと記されていました。
私と友人は、日本三大金山に数えられる高玉金山(郡山市磐梯熱海)にも行きました。友人は何度も来ているのか、地理にも詳しく、高玉金山についても話してくれました。開山は安土桃山時代1573年で、閉山の1976年までの約400年の間、日本の金産業に大きく貢献しました。総生産は、金28t銀280t、採掘総延長は約600km、坑内はトロッコで見学でき、夏季・冬季も温度変化がなく19℃でした。金脈を探し、採掘した1tの泥の中から、数グラムの金を採取することから、金の貴重さと値の高さを知ることができます。坑内を案内してくれた係員の方は、1つの金脈を指で示して、この金脈は1tの泥から25gも金が採取された、高玉金山の中でも最良の金脈ですと説明してくれました。掘り続ける中、少しでも良い金脈が見つかると、臨機応変に方向転換して、利率の良い金脈に掘り進んで行ったそうです。近年は、金脈の探知機を使うようになりましたが、昔は経験による勘だったようです。坑内はたこ足のごとく四方八方に掘られていました。
私は坑内で、一時自分が掘り師になったように感じました。大きな金脈を見つけるために、小さな金脈を掘り続ける…。全く未知の世界であり、その先に太い金脈があるとは限らない。しかし、あるかも知れない。今までの経験を駆使するが、何の保証もない。進むべきか?横に方向を変えるべきか?あと何日かは掘り進むか?と考えたに違いありません。それは経営者の誰もが体験する日々の行動です。決断する時間は迫ってくる。責任は重い。判断を間違えれば会社は倒産に追い込まれるでしょうし、決断に時間をかければ金脈を掘る坑夫を遊ばせることになり、仕事が止まります。
経営者の最大要素は「決断力」であると言われる所以でしょう。私はそのような時、いつも「蜘蛛論法」(私だけの論法です)を使います。蜘蛛は巣を作る時リサーチをしますが、このリサーチは蜘蛛にとって巣を構えるのに大きな要点ではありません。蜘蛛の糸は1種類のように見えますが、実は約6種類の糸を自由自在に出すことができます。足場の糸は粘りのない強い糸、獲物を捕るのは粘りのある糸、卵を抱きかかえるのは柔らかい糸です。これは経営者にとって部下の適材適所に当たります。糸を間違え足場と獲物の糸が逆ならば、獲物は捕れないでしょう。経営者として間違ってはいけない箇所です。そして蜘蛛の決断は、自分が作った巣にいつまで居続けるかです。獲物が捕まらないなら、生活はできません。私の論法の最大の特徴がここにあります。蜘蛛は5日間獲物がなければきっぱり諦めて次の場所に移ります。この決断は見事です。何の未練もなく次に進んで行きます。
私は5年前に「あきらめたらあかん」を出版しました。「諦め」と「あかん」は逆方向ですが、私は常にこの仕事は蜘蛛にとっては、1日目か2日目か、今は5日目とかを計り、決断を下します。5日目を過ぎて見込みのない仕事は失敗です。(蜘蛛の5日は私の3年)だから私には失敗は山ほどあります。「あきらめたらあかん」の事項には、会社の面子・個人の見栄・嫉妬・負の策略が無い純粋な光が見えるものです。そして失敗してもその中から多くのことを学びます。蜘蛛も5日目を過ごした様な場所に二度と巣は作りませんし通ることもしません。(学習効果)今月は決算の月です。それぞれの仕事で6日目になっているのに固守していませんか?あるならば、来期は蜘蛛の論法です。 (典)
平成22年 7月号 KEY WORD 〜 原因・結果・報告 〜
私は、社内でも一番か二番の好奇心旺盛だと自負しています。実際、セミナーでも講義でも質問は多い方です。今年の正月も、浅草に初詣に行き、警備の警察官のバッジが少し異なることと、そこに書かれている番号がバラバラなことに気が付き、隊長と思われる警官(肩章のラインが多い)に聞きに行きました。彼が丁寧に教えてくれたので、他県からの応援隊、部隊を見分ける方法まで知ることができました。知る喜びの中には、必ず原因があり、結果があります。
私は以前から「黄金の国ジパング」という言葉が気になっていました。日本は昔から資源のない国であり、何故マルコポーロの東方見聞録に「黄金の国ジパング」と書かれているのかが、不明でした。マルコポーロは、日本には来ておらず、中国で聞いた話を書いており、インターネットで調べても何故黄金の国かは記されていません。このことが頭から離れない私は、植物学の教授に尋ねました。
この教授には色々なことを教わりました。皆さんの回りにも私の田舎にも生えている「イタドリ」(アクを抜き油でいためると美味しい)が、ヨーロッパでは困った植物になっているそうです。イタドリの語源は傷の痛みを取ることからきています。葉を傷口に付けると痛さが消え、葉のお茶は泌尿器系の特効薬として、日本では昔から用いられていました。このイタドリは効き目があるので、シーボルトが持ち帰り、ヨーロッパ全土に薬草として広めたようです。しかし、繁殖力の強いイタドリは、ヨーロッパ中に広まりヨーロッパの生態系を崩しているようです。この教授は、シーボルトがイタドリを日本で採取した時の逸話も話してくれました。シーボルトが日本に来た時、日本の政府は鎖国をしており、シーボルトの回りには必ず数名の役人が付いていたそうです。しかし、シーボルトはイタドリが欲しくてたまらない…。そこでイタドリの生えている山道で転び、その隙に懐に入れて持ち帰ったそうです。シーボルトの弟子が、その後日本を訪れるのですが、同じ行動をして、照葉樹(以前はヒマラヤ山脈から東日本に向けてしか生えていなかった)をヨーロッパに持ち帰り、垣根に使ったようです。
話は黄金の国に戻りますが、何故黄金の国になったかは、遣唐使が大きな原因だと教授は話してくれました。皆さんも知っているように、遣唐使は日本から中国の唐の国に約20回にわたり派遣された使節です。1回の使節団は約200名で、奈良で教育(主に語学)を受けてテストに合格しないと使節団には入れなかったようです。当時、政府の教育舎には1000名を超える青年が学んでいましたが、90点以上取らないと使節団の一員になれませんでした。使節団に入ると、福島県白河(日本最古の金山)で採れた砂金を両腰にぶら下げ、中国各地で学び、お礼に砂金を渡して大盤振る舞いをしたようです。彼等は現在のお金で約2億円分の金を使い、日本に文化・制度・仏教を伝えました。使節団が行くたびに、同じかそれ以上の金を運び、文化を持ち帰ったことから「黄金の国ジパング」と言われているようです。私の疑問は解決しました。しかし、当時の政府の方針で、金をばらまき文化を得た結果、それが江戸末期の不平等貿易の原因ともなりました。
私は若い頃から経済の勉強も兼ねて株式投資をしていました。初めの頃は証券会社の営業マンのアドバイスで投資しましたが、儲かりません。株式投資には儲ける人と損をする人がいます。そこで株式の儲かる原因を勉強しました。株の世界には多くの隠語があります。隠語が一番多い世界でしょう。そこで得たゴールデンクロスと言う儲かる原因を知ってから、私に多少の富と言う結果を与えてくれました。ここにも原因と結果があります。
先月の25日、会社の全体会議で数校の教室が表彰されていましたが、これらの教室は表彰される原因を独自で作り、実行した結果です。原因は、まず自分の手から動かさないと、結果を得ることはできません。私の机の横には手動式の井戸ポンプの模型があります。Dr.Coxからもらったものですが、このポンプも「差し水」をいれてやらないと、下にあるきれいな地下水を汲むことができません。このポンプが教訓を教えてくれています。最後にですが、我社では、原因と結果は報告しないと認められません。法学部の学生なら、先ず、最初に学ぶと思いますが、「権利の上に眠れる者は保護しない」ということです。原因と結果、そして報告して自分を主張する事です。 (典)
平成22年 6月号 KEY WORD 〜 つもり人間 〜
今年も早や半年が過ぎようとしています。半年間を振り返るつもりで日記を見ると、それぞれの月日を積み重ねたことがわかります。感覚的には短くても、毎日毎日を記した日記では、やはり半年の重みがあります。半年の中には久しぶりに会った方々もいます。その中で特に印象的なのは、先月の末に14〜15年ぶりにお会いした同業の先輩です。彼は私より3歳年上ですが、学生時代から近所の子供たちを集め、学習塾の基盤を作った人です。名前を聞けば誰もが知っているし、塾名は全国的に有名で、東京証券取引所にも上場し、現在は顧問をしています。私が彼と出会ったのは約32年前です。当時、学習塾は、学校の授業の補習的なものを行う教場が多い中、彼の塾は徹底して進学塾に拘り、SS55以上の生徒を集め、既に埼玉県を中心に多数の教室を展開していました。
彼は「僕は小心者で臆病者だから…」が口癖でしたが、彼の回りにはいつもアマチュアではなく、プロが付いていました。彼は私に「伊藤さん、私には電話一本で、私の知らない、私が解決できないことを直ぐ解決する人材がいます。」と言ったことがあります。私は松下幸之助さんみたいな人だと思いました。また彼は新しいシステムや教え方・教材と、塾に関するアイデアが頭に浮かぶと、部下の中でそのアイデアに一番適した人物に丸投げします。丸投げされた部下はチームを作り、彼の頭の中にある理想を現実のものにしようと努力します。結果、彼の築き上げた会社は、塾部門だけに止まらず、幅の広い教育の総合会社となり、上場しました。彼は部下の知識を引き出し、部下はまた多くの仲間を集め奔走します。私は、彼を塾経営のプロだと思うし、部下を育てる面では経営者だと思います。彼は人前に出るのをあまり好まないようで、事務所から出ませんから、報告を聞き、舵取りをしています。プロの姿を見、話を聞くのは本当に気持ちのいいものです。久しぶりに会って、楽しい時間を過ごし、最後に「我々は、最高の時代に生まれて、いい人生を歩んだね」と言い合いながら別れました。
家に帰り着き、私は自分の収集した数名の画伯の絵を見ました。平山郁夫画伯の「シルクロード」山下清画伯の「長岡の花火」は、私の気分のいい時には、それ以上に引き上げてくれます。東山魁夷画伯の「紅葉」や竹下夢二さんの「黒船屋」は、気分の落ち込んだ時には私を元気づけてくれます。プロフェッショナル(画伯)の絵には人の気分を変えてくれる意味深いものがあります。
私の収集の中には、芸大の生徒で、まだプロとは言えないけれど、まったくの素人とは思えない絵もあります。その絵の中には何とも言えない、いじらしさが見え隠れしています。いつかは人の心を動かす画家になるだろうと思う学生さんもいます。実際、学生さんたちの展覧会に足を運んで、そのように感じるのは、私だけではないでしょう。私の集めた絵の中には、もう一種類の絵があります。プロには成り切れないのに、プロのつもりになっている人が描いた絵です。絵に深みはないのですが、随所にあえて深みを作ろうとしている絵です。
私はここまで絵で3種類の人がいると言いましたが、これはどんな職業にも言えます。教える指導者のプロ、まだまだ素人教師、素人とあまり変わらないのにプロのように振舞っている教師。弁護士の先生方でも同じようなことが言えるらしく、先日会社の顧問弁護士の創業40周年パーティーに出席した時、剛腕弁護士(上級裁判でも無罪を勝ち取る)、勉強中だが吸収し成長する先生、何年経っても裁判で勝てない先生、この3種類の弁護士がいることを知りました。経営者にも経営者になったつもりの経営者がいます。プロフェッショナルは別として、素人はプロの意見を聞き成長しますが、プロフェッショナルになったつもりの人は、頑固で自分の方法が最適だと思い信じているから、始末が悪いのです。私も含め、今自分の仕事の中で、自分はどの域にいるかを知ることも、今月の課題にしたいものです。「なったつもり人間」は気付いてくれないかもしれませんが、私はメッセージを送り続けます。その道のプロと会い話すことは、人生の羅針盤を得た気分になります。(典)
平成22年 5月号 KEY WORD 〜 魂 〜
以前、果物を例にとり、南国で採れるみかんと、北国で採れるリンゴの両方が自国で楽しめる国は少ないと話しましたが、長い日本列島、約2ヶ月間、日本のどこかで桜の花見ができました。今年も確か3月10日に高知市で開花宣言がなされて、50日後には弘前市で開花宣言がなされました。
自然に恵まれた我が国には、以前は日本人魂があったと思います。その魂の中には、責任という2文字が大きなシェアを持っていたとも思います。私は、昨年の5月に株式会社専修の代表権を現代表の玉川氏に譲り、経営陣から退きました。退いた時に代表者としての責任の重さをしみじみと感じました。体調を崩した原因が会社の代表者として勤めた36年間にあったと確信するほど、代表職は激務です。我社のような中小企業の倒産原因であるキャッシュフローには、本当に苦しみました。夜中に電卓をたたきながらのやりくりは、ストレスの塊だったと思います。これが米国であれば、倒産させて再度会社を設立すれば、銀行も融資をしてくれます。良いか悪いかは別にして、日本では、倒産した会社代表者は、二度と経営者として認知はしてくれません。昨今の自殺者の大半は、中小・弱小企業の経営者であります。本当に悲しいことです。神様は、社員と社員の家族の重みに耐えられる人間を選び、能力を持っている人間が代表者として着任するのでしょうが、非常に重い責任であることに間違いありません。
毎日新聞で読んだことですが、大阪の船場では、扇子商法という教えが、100年以上前から若い経営者に継承されています。経営者の生き方を綴った評伝の扇子商法とはどんなものでしょうか。扇子を頭に浮かべてください。扇子は暑い時(景気の良い時)に開きますが、いらなくなると畳みます。開きすぎると畳みにくくなります。商いも同じで、好景気に事業を広げるのはたやすいけれど、不況の時に縮めるのは思いの外難しいものです。その上、経営者自身のプライドや見栄、そして縮めたら職員の士気が落ちるのではなどと、1日、1か月、1年と延ばすことにより、会社の首を絞めることになります。この扇子商法には、商いの目的は永続であるとも伝えられています。埼玉県には1週間で約10〜20社の法人が設立されています。設立された会社で、10年後に残っているのは5%以下です。そして20年後に残っている会社は5%〜1%の間です。一瞬の判断を間違えれば、倒産の95%の中に入ってしまいます。しかし、日本には150年も続いている会社が10万社あり、200年以上経営されている会社も1.5万社あることも事実です。
扇子商法には「始末・才覚・算用」も記されています。始末は、始まりと終わりのけじめをつけることです。1日の始まりと終わり、1年の始まりと終わり、決算期の始まりと終わりです。才覚は、先見性を教えています。算用には、勘定を合わせる際、利益より信用を重く見ることで、その心根に身の程を知る慎みと恐れがあると説いています。商売は人・金・モノの正三角形であり、人が頂点で、金・モノが底辺で支えているものです。金・モノを優先して人が底で支えている逆三角形では経営者の資格無し、と断じています。この扇子商法にも日本人の魂を見ることができます。
代表者を退き、時間に余裕のある時、私は企業セミナーや大学のセミナー、そして聴講生として出かけることが多くなりました。交通機関は殆ど電車を利用していますが、以前と違う点があります。私が学生時代、電車は立っているものでしたが、昨今は高校生・大学生、若い人の誰もが優先席に座り、中には携帯メールを送信している人もいます。車内放送での注意にも耳を傾けません。たとえ前にお年を召した方が立っても、席を譲る気配はありません。目を瞑り、時間の過ぎゆくのを待っています。この光景には日本人の魂は見ることができません。いたわりや心遣いは日本人の魂です。
戦後、日本は模倣が多く、日本魂は無いのかとも言われました。しかし、模倣をアレンジして発展させる才能は世界中で最も優れた国民だと思います。それを物語っているのが文字です。確かに漢字は中国からきたものですが、その漢字からひらがなを生み出し、カタカナも生み出しました。外国語も加えて和製英語も作りました。和洋折衷の料理の中にも日本の魂が込められています。魂は、国・人間だけでなく会社にもあります。他社の真似でなく我社だけの魂です。 (典)
平成22年 4月号 KEY WORD 〜 本 物 〜
日本で物事が新しくなる月と言えば、1月と4月がありますが、4月は、目に入ってくるものが、何となく新しい感じがします。我が家の前を小学校の高学年を先頭に、次に新1年生らしい生徒が歩いて通学して行きます。ランドセルが背にうまくおさまらないのか、ランドセルの背掛けバンドを手で直しながら行く姿を見て、私は思わず微笑んでしまいます。
入学式で初めて校門をくぐった時の情景は、何才になっても忘れないものです。私も57年前、今は亡き母の手を握り地元の小学校の門をくぐりました。門の両端には、大きな桜の木が満開でした。式の後、教室に入り、初対面の男子と喧嘩したことも覚えています。原因は背の高さでした。私はクラスでも小さい方で、彼と同じ位だったのですが、背の高さの順に前から席に座ることになって、一番小さいのは俺じゃない、又彼も俺じゃないと言い争いました。結果は覚えていませんが、言い争ったのは確かなことです。10年前に小学校の同窓会があり、40年ぶりに彼に会いました。身長は私の方が高くなりましたが、彼も喧嘩のことは覚えていました。ただ、原因は背の高さではなく、一緒に座る女の子のことだったと言っていました。私は「いや、背の高さだ」彼は「いや、女の子だ」と40年経ってもお互い譲りません。彼は名刺を出し、「続きはここで飲みながら話そう」と言いました。見ると有名なホテルの支配人でした。これはしめたもの、「お前のおごりで2、3回話をしよう」と別れました。
我が業界の4月は、生徒の面談の時期でもあります。私は、3者面談(生徒・父母・私)の時、新聞のコラムを読みなさいと指導しました。職員の中にもOIRON通信の読者の中にも私の教え子がいますから、覚えている人もいるでしょう。多くのご父母様から、生徒の文章の読解力や表現力についての質問が多かったからです。新聞にはコラムが多数あります。このコラムを書くのはその新聞社の中でも、とくに文章力の優れた人です。私も2紙のコラムを毎日読みますが、「上手な文章だな」と思い、後で使用したいものは切り取り、事務所の引き出しに入れてあります。これこそ本物の文章です。解りやすく、必ず時のニュースを巧みに入れ、短い文章で読者を納得させています。以前読んだ本ですが、「親子で新聞を読む」池上彰氏著(NHKの子供ニュースのお父さん役)にも、コラムは小学生でも理解できると書いてありました。親や我々には、生徒たちに、本物に触れる機会を多く与える役目があります。私の子供たちがまだ小学生の頃、5月の連休は美術館や博物館のはしごでした。美術館や博物館には、全て本物が陳列してあります。目が肥えて、芸術的に価値のあるものそうでないものの区別が付くようになります。
同じことが「食」でも言えます。私は畑で野菜を完全有機・100%無農薬で作っていますが、本物の野菜は甘くて、噛むと野菜本来の味がします。私は、これが本物の野菜だと思います。群馬県の嬬恋キャベツは、種を植えてから出荷まで24回の農薬散布をします。20回の散布は減農薬キャベツとして出荷していると聞きました。また肥料の殆どが化成肥料だそうです。本物の野菜を作るには、土に肥料と腐葉土(欅の枯れ葉・糠・油粕を混ぜて作る)を混ぜて、野菜にも本物の苗床を作ってやらないといけません。畑でなくてもプランターでも、家の軒先でも本物の野菜は作れます。但し害虫は手で取ります。
また、昆布や鰹節や煮干しでとっただし汁を使用した煮物は、顆粒だしで作った煮物とは味が違います。本物を求めるには手間と時間がかかりますが、それだけに本来の味があります。
私の友人の話ですが、彼は友人を誘い本物の中華料理を食べさせてやろうと思い、赤坂プリンスホテルに連れて行ったそうです。約2時間のディナ−を楽しみ満足した友人は、聞きました「どうだ美味かっただろう」と少し勝ち誇った態度と御馳走した関係上相手の返事を聞いたそうです。すると帰ってきた言葉は安い中華専門のファミレスの店名を出し「私はそちらの方が美味しいと思う」でした。彼は2度と本物の食事には誘いませんでした。
私は、教育にも本物があると思います。ネイティブによる英会話も、自分の手や目や耳で行うキッズラボも本物です。授業する教科は、専門的に熟知しているのは当たり前ですが、生徒にいかにその教科を味付けして食べさせるか、そして身に付けさせるかが重要です。それぞれの生徒一人一人に本物の味付けをしてあげれば、必ず食べてくれるし、肉にも骨にもなります。我々は生徒の成績を上げる・志望校に合格させるのが仕事です。そのためには生徒が食べてくれる「本物の教育」でなくてはなりません。本物の教え方には、工夫も、知恵も、幅広い知識も、そして本物の心も必要です。
ここでの本物は偽物と区別するものではありません。 (典)
平成22年 3月号 KEY WORD 〜 経営インフラ 〜
今年の冬は、寒かったり暖かかったり、日本の経済と同じように思えます。東北、北陸地方の大雪をTVや新聞で目にすると同時に、南の方では海で遊ぶ子供たちの姿が目に入ってくると、日本は小さいながらも、自然豊かな国であることを知らされます。1つの国で、寒帯地区で採れるリンゴと、南国で採れるみかんが両方とも収穫できる国は、世界の中でもあるでしょうか。気候もそうですが、水も日本の大きな資源です。先日の新聞に、中国が我が国の山を買っている記事が掲載されていました。日本の林業が衰退する中、小泉内閣は、公共事業を削減し補助金を出したため、建設業者が林業(木の伐採)に転換しました。しかし素人同然ではうまくいかず、殆どが赤字でした。そこで中国が山を安く買っているのです。中国は別に木が欲しいわけではありません。山から湧き出す豊かな水が欲しいのです。中国は公害と砂漠化で飲み水が不足しているため、日本の山に目を付けたのです。10年先100年先を見る中国と、目先の利益にとらわれる日本。これでいいのでしょうか。企業も国家も先を見る目が必要ですが、これは本当に難しいことです。
新年に著名な経済学者が今年の景気と今年末の株価を予想しますが、両方とも予測できた学者を見たことがありません。私も年頭に2つの予測をして日記に記しますが、私の方が的を射ている気がします。我社のような小さな会社は株価に左右されませんが、景気や会社経営には関心を持たなければなりません。昨年入社した社員、今年入社式を迎える社員も自社の経営には最大の関心を持ってもらいたいものです。今、自分が任されている仕事で、どれだけの利益を出しているか考えてください。
自社内だけではありません。私は一歩外に出ると、絶えず利益を考えます。映画を見ては、観客数を数え、映画館の大きさにもよりますが、観客数が10数人で元が得られますから、見ている映画でいくらの利益か考えます。劇場に行っても自分のチケット代と観客数をかけて利益を割り出します。先週はとバスで都内観光をしましたが、うまく計算が出来ないのでガイドさんに経費について聞いてしまいました。これで次にはとバスに乗た時計算ができます。レンタカーを借りた時もレンタル代から何回貸し出したら利益が出るかも計算しましたし、自分が支払う場所ではありとあらゆる所で計算します。
ここで皆さんに身近な例を紹介しましょう。皆さんはファミリーレストランでソフトドリンク飲み放題150円を注文し、10杯飲んだら元をとったと思うでしょうが、ソフトドリンクの原価は1杯5円です。またTVで宣伝されている栄養ドリンクDの原価は10円です。観光会社から届くダイレクトメールは200通出して1回の予約があれば利益になります。「そんな馬鹿な」と思うでしょうが、企業は付加をつけて売らないと利益出ません。私はこれを「経営インフラ」と呼んでいます。以前商社に勤めていた時、営業部員は社員の給与の100人分を稼げ、50人分なら辞表を書いて辞めていけ、とよく言われたものです。これも経営には人件費以外の大きな費用がかかると言うことです。私も独立して「経営インフラ」「100人分の給与」の意味がよくわかるようになりました。
話を元に戻しましょう。自分が出没する場所、自分が体験する場所で原価計算をしてみてください。すると経営概念が養われます。中には楽しくないからいやだと思う人がいます。強要するつもりはありませんが、原価計算をするためには、原価を知らなければなりません。そのためには調べなければならないし、勉強もしなくてはなりません。当事者に聞くことも必要になってきます。興味本位でもいいですから、是非やってみてくださ。それによって見えてくる商売も多くあります。以前は利益率が高かったのに今は低いのは何故か、分析もできます。利益率を上げお客様に喜んでいただけるヒントもつかめます。また、時代の流れはどこに向かっているのか、それは若者か?子供か?老人か?ということも知ることできます。私は、何度か同じ店に行き、原価計算をして、この店は何カ月もつだろうか?と頭の中で考えると、おおよそ当たり、次に行くとその店は閉鎖されていたこともあります。
経営者だけが利益計算をしたり経営インフラを考えたりすれば良い時代は終わっています。計算場所は、いつでもどこにでもあります。あなたの目の前、今座っている席にもあります。この習慣を身につければ話題も広がるし、どんな職場にも通用します。 (典)
ページの先頭へ
平成22年 2月号 KEY WORD 〜 自分に投資 〜
昨年の暮から、派遣社員が解雇され職も住む家も失ったため、その人達に宿や食事を提供している場面がTVで放映されていました。また、年明けに東京都が支給した1人当り2万円の支援金を受け取った人のうち、約200人の連絡がないという記事が新聞紙上を騒がしていました。テレビの画面でしか見ていませんが、殆どが男性で、若い人が多いように思えました。発泡スチロールの丼に食事を貰い、公園のベンチで食べている若い人達の姿を見ると、本当に日本は先進国なのだろうかと心配になります。食事を貰う人も不幸かも知れませんが、経営のために解雇しなくてはならない経営者の気持ちも理解できなくはありません。真の経営者ならば、解雇は経営陣の減給や持ち出しの後であるはずですから。
今回のOIRONは努力に努力を重ねて自分を築き上げた人や、派遣社員から独立しようと頑張っている青年を紹介したいと思います。その1人は、4年前、私が放送大学で文化科学研究科修士科の認定試験で知り合った女性です。同じ科目を履修していて、スクーリングの科目も同じだったこともあり、会話が始まりました。彼女は病院に勤める看護師さんで、循環器担当でした。当時、私は狭心症で通院していましたから、彼女から循環器の情報を得ました。彼女は私より15才年下で、秋田県から中学を卒業後、東京に出てきました。何の仕事についたかは語りませんでしたが、夜間高校に通い、高校卒業資格を取り、勤めながら準看護師の勉強をして準看護師になりました。準看護師から正看護師になり、放送大学で学士を獲得して、同じ放送大学で修士最後の認定試験を受けていました。娘さん2人とご主人の協力があってのことと言っていましたが、東京に出てきてから、給与は学費につぎ込んだとも言っていました。自分に投資です。おそらく彼女のことですから、今もどこかの大学のエクステンションで、好きな科目を履修して自分を磨いていると思います。
もう1人は、昨年の春、時々行く飲み屋で出会った30才代の男性です。彼は高校を卒業してからアルバイトで生計を立てていましたが、アルバイト先が倒産、経営者は行方不明、給与日の前日のことだったそうです。田舎は大分県で東京には友人と言える人もなく、いても同じようなアルバイトでした。その後道路工事の交通整理の派遣につきましたが、貰った給与はほとんど飲み屋に貯金したようでした。運転免許も持たず、何の資格もない彼でしたが、好きな女性ができた事から人生が変わりました。ハローワークに行っても、何の資格も持っていない自分は最低と思い、まず普通自動車運転免許から計画を立てて、派遣で貰う給与は自動車学校の費用にしました。飲み屋から学校にお金の流れが変わりました。そして運送会社に社員として勤めてから、彼女にプロポーズして結婚しました。結婚してからも彼の勉強は続き、大型免許・大型特殊・二種免許・大型自動二輪と、車に関する免許は殆ど取得しました。大型車の免許を取ってからは、長距離も担当し、給与も上がり、私が出会った時は経理の勉強で、簿記の検定を受けると言っていました。彼は、できれば運送会社で独立したいとも言っていましたが、今の不況ではどうしたでしょう。
私はまだまだ自分に投資をしている人を知っています。私も午前中を中心に、ここ10年間大学の聴講生になったり、企業のセミナーに出席したりしています。ある大学のエクステンションでは73単位を取得し、あと2単位で修了証がもらえます。もし、派遣切りで生活苦の人が自分に投資していたならば、あの行列の一員になっていたでしょうか。誰も助けてはくれません。助けてくれるのは自分だけです。日本は資格(免許)の国です。人間アクティブな環境に身を置けば、アクティブな頭になります。昨年の5月と9月の大型連休に、資格取得のためのセミナーは、どこも満員と新聞が報じていました。以前私の勤務していた会社は、営業部の私たちに「日刊工業新聞」と「経済新聞」の費用を会社負担で提供してくれましたが、読んだり読まなかったりでした。自分で費用を捻出していなかったからです。
最後に私の友人の話です。彼は多趣味で家庭菜園もその趣味の1つです。畑を手に入れようとした時、彼の息子(医学生)が、「お父さん、そのお金、僕に投資してくれないか。勉強したいことがあるんだ。必ず返すから。」この一言でそのお金は何倍もの価値を持って息子の頭脳に入って行きました。その息子はDrになり、「今春同じDrと結婚します。」と招待状が届きました。
私は自分に投資する者を応援したい。 (典)
平成22年 1月号 KEY WORD 〜 賀状分析 〜
日本の文化とも言える年賀状が、国民の間に年中行事の1つとして定着したのは、郵便制度が確立された数年後の明治20年頃だそうです。当時は受付局と配達局の2つの消印が押されていたそうですが、試行錯誤の末、現在につながる年賀郵便制度がようやく完成されたのは、明治40年でした。大正に入ると満州移住や私製はがきも増え、1936年(昭和11年)が枚数のピークでした。日中戦争が始まる1937年から減少し、1941年には「お互いに年賀状はよしませう」の標語が町中に貼られていました。1945年(昭和20年)には、ほとんどの家庭に年賀状は届いていませんでした。このことからも分かるように、1年の始まりを祝い、平和と健康を祈る年賀状は、平和の象徴と言えるのではないでしょうか。
年賀状が再開されたのは、1948年(昭和23年)で、その時は、新年の挨拶と言うより、お互いの生存を喜び合う意味が強かったようです。しかし、枚数は戦前の半分にも及びませんでした。そこで翌1949年には、お年玉付き年賀はがきが売り出されました。今までの年賀状のピークは平成5年の37億通であると郵便局の冊子に記されていました。
私には個人的な年賀状が毎年180通前後届きます。その内容は、表も裏も印刷のものから、両面手書き、それも毛筆でのものもあります。殆どが、裏面に一言、昨年の出来事や今年の目標や予定が記されています。中には、数年、数十年お会いしていない方から届くものもあり、年賀状のみのお付き合いをさせていただいていますが、それらには必ずコメントが書いてあります。私は理数系の頭のせいか、何事も分析し統計を取りたがる性格ですので、毎年私の手元に届く賀状で、1つの分析をしています。この分析が中々的を射ていて面白いのです。
私は以前から、良い悪いは別として、経営者(リーダー)と従業員の資質は違うと言ってきました。又、経営者の中でも先天的に経営能力を持つ人は40%で、後天的能力の人は60%であると言ってきました。このような、今までOIRONで主張してきたことが、この年賀状にも当てはまるのです。人間は、何事にも本心が出るのだと改めて感心しています。
180通の賀状の中で、家庭第一主義で経営や営業でトップになってやろうなどという野心のない人。これらの人が悪いとは言っていません。人生観ですし、何がその人にとって大切か?ですから。その人からの賀状は両面印刷が多いのが事実です。長い文章で延々と干支や社会情勢について書いてあり、自信満々と自分を主張するのは、弁護士・政治家と理屈っぽい人です。何かの教祖を目指しているのではとさえ思われる人からの賀状は、毎年文章は変わりますが、内容は変わっていません。また、裏面に絵柄と肉筆で文章が入り、その文章が光っている賀状は、経営者からです。経営者からの賀状の文章にはその人らしい経営方針が感じられます。文章には人間性が出るものです。裏面が市販の絵柄のみや、どこかでゴム印を押したような賀状の差出人は、仕事もそれなりの人が多いように思います。人間としては良い人であっても、社員として一緒に仕事をするのはどうだろうか、と思ってしまいます。また、元旦に届くよう期間内に投函する人、元旦に賀状を書き投函する人、12月26日〜31日の間に投函する人を分析すると、毎年変わらないことがわかります。人間は、変わろうと思っても変われないものです。
私の娘が小学校3年生の時、「毎日が通信簿」という題で書いた作文が、ある新聞に掲載されました。内容は、「誰かがどこかで自分を大切に見守ってくれている。私は毎日どこにいても通信簿をもらっている。」というものでした。日々の行動や普段の何気ない会話にも人間性が出ますが、年賀状1つにでも人間性は出るものです。たかが年賀状、されど年賀状、です。
私は以前、姪の結婚式の祝辞で「結婚式にご出席いただいた方々には必ず年賀状を書きなさい。」と言った事があります。私は、毎年多くの方からいただく年賀状を楽しみにしています。年賀状の肉筆の文章を読み、差出人の面影を頭に浮かべ、教えを請うたことや、会話を思い出しています。
今回は1月号のOIRON通信でもあり、年賀状の分析をしました。年賀状をくださった方々には失礼があったかもしれませんが、賀状一つでも人間性が出る。文章にも会話にも人間性が出る。しかし、意識を相手に集中し、分析する方にも分析能力がなければ、今回のOIRON通信は無駄で何の意味も持たないでしょう。しかし、参考になることもあったのではないでしょうか。 (典)(この統計分析は、10年以上に及ぶ資料を元にしています。)

